令和 6 年全日本柔道選手権大会は、4 月 29 日昭和の日、日本武道館において開催された。
今大会は、5 月 UAE で開催される世界選手権と 7 月のパリオリンピックを控え、100Kg 超級の第一人者斉藤立選手、今年の全日本選抜体重別選手権大会優勝で世界選手権代表の太田彪雅選手をはじめ100Kg 級でもオリンピック代表ウルフアロン選手、世界選手権代表の新井道大選手、90Kg 級では昨年 3 位と会場を沸かせた田嶋剛希世界選手権代表等が欠場するやや寂しい布陣となったが、全国10地区から選出された 40 名に昨年優勝の王子谷剛志(旭化成)選手と準優勝の羽賀龍之介選手(旭化成)を加えた 42 名による大会となった。
今大会は、原則として国際柔道連盟試合審判規程で実施するものの、ゴールデンスコア方式を排し、8 年ぶりに試合時間終了後、畳の上に上がった 3 人の審判による判定で試合を決する独自の「申し合わせ事項」によって実施された。1・2 回戦の試合は、26 試合中の 15 試合が判定、そのうち 5 試合が 2-1 の判定というものであり、先行きが危ぶまれる内容であった。しかしこれは、選手たちが大きな変更が行われた「申し合わせ事項」での試合がどのようなものになるのかを探り合い、慎重になりすぎたことによるものだと思われる。序盤こそ、そのような試合内容ではあったが、勝ち進んだ選手たちは、選抜されたハイレベルの審判団が、「技数や見せかけの攻勢に惑わされず、本気で投げに行っている攻めなのか」を「技のインパクトやコントロールされているかで見極め」、判定を下していることに気づき、3 回戦以降の戦い方を変化させていったように感じた。
3 回戦以降は、全日本選手権らしい一本を取り合う熱い試合が展開された。決勝戦までの15 試合中、判定が 7 試合あったが、内容的には 5 分間の中で死力を尽くして技をかけあう試合が多く、3 人の審判の旗が上がった瞬間、大歓声に包まれる試合が多かった。参加 42 名中、14 名は初出場であり、6 回以上出場経験のあるベテラン選手が 9 名であった。今回の参加者の中で最年少は、今春国士舘大学へ進学したばかりの川端倖明選手 18 才、最年長は、令和 2年全日本選手権覇者の羽賀選手 33 才であり、若手とベテランの戦いも会場の観衆を大いに沸かせた。
本大会の第一シードとなった昨年 4 度目の優勝を飾った王子谷選手は、2 回戦・3 回戦と難敵ではあったが寝技を駆使して無難に勝ち上がり、準々決勝で近畿予選優勝の西尾徹選手(大阪府警)との対戦となった。この戦いでも思い切った技は出せなかったものの常に前に出て西尾選手の攻めをつぶして判定勝ち、準決勝に進出した。
次の山では、近畿大会では 5 位とギリギリでの代表選出ながら、最近の国際大会では次世代を担う活躍を見せている中野寛太選手(旭化成)が、2 回戦で香川大吾選手(ALSOK)に 2-1の判定勝ながら選抜大会敗戦の雪辱を果たし、3 回戦でも関東チャンピォンで今大会も好調の前田宗哉選手(自衛隊体育学校)を豪快な「移腰」技ありで破り、準々決勝では難敵押領司龍星選手(京葉ガス)の「袖釣込腰」に苦しみながらも判定勝。この山から準決勝に勝ち上がった。
右側の山第 2 シードの羽賀龍之介選手(旭化成)は、2 回戦は思い切った技こそ出せなかったものの組手のうまさで相手の攻撃を封じ判定による優勢勝した。3 回戦は、将来を嘱望された選手だったものの大きな怪我に苦しんできた佐藤和哉選手(日本製鉄)との対戦となり、互いに死力を尽くしての戦いとなった。試合後、「何度も力尽きて挫けそうになったが、たくさんの応援に支えられて最後まで戦うことができた」と語った佐藤選手が、激戦を判定 2-1で制した。準々決勝は、その佐藤選手と今春日本体育大学を卒業したばかりの 100Kg 級グリーンカラニ海斗選手(パーク 24)との対戦となった。この戦いは、互いに得意技を繰り出す激しい攻防となったが、若さに勝るグリーン選手が有効 2 つを連ね、優勢勝し準決勝へ駒を進めた。
最後の山からは、ノーシードからの戦いとなった影浦心選手(JRA)が、2 回戦を「隅落」技有から「横四方固」で合せ技一本勝、3 回戦でも相手が技に入ろうと動き始めた刹那をとらえ、見事な「小外刈」で一本勝し、調子の良さと「今回こそ優勝」の意気込みを感じさせた。一方、東京オリンピック100 Kg 超級代表の原沢久喜選手(長府工産)は、1 回戦からの出場となり、3 回戦までの戦いはすべて 3-0 の判定と厳しい戦いが続いた。しかし、直接の対決では、原沢選手が影浦選手の担ぎ技を見事にさばいて無力化し、苦しい戦いではあったが 2-1 の判定をものにして準決勝に勝ち上がった。
準決勝戦、王子谷選手対中野選手の一戦は実力が伯仲する両者の対戦となり、接戦が予想された。しかし、予想に反し、序盤から中野選手が積極果敢に攻め、内股で圧力をかければ、王子谷選手も大外刈のチャンスをうかがう息をのむような展開となった。30 秒過ぎ、ケンカ4 つでようやく組み合った両者、王子谷選手が大外刈、中野選手が内股で先手をとろうと動いた瞬間、タイミングよく技を切り替え、思い切りの良い小外刈に行けば、大きな山がものの見事に崩れ落ちるように一本となり、中野選手が決勝進出を決めた。
もう一つのブロックは、過去 2 回の優勝を誇る原沢選手に対し、2 回目の出場ながらここまで見事な戦いぶりで勝ち上がってきたグリーン選手の対戦となった。原沢選手は 31 才となり、今回の大会では、以前のような技の切れは見られないもののベテランのうまさを発揮して着実に勝ち上がってきた。序盤、体格に上回る原沢選手であったが、組み手ではややグリーン選手が勝っているかと思わせる展開となった。組み勝ったかに思われたグリーン選手、半信半疑ながら慎重に内股を仕掛ける。思った以上に懐の深い原沢選手は、中途半端に戻る瞬間に狙いを定めていた。グリーン選手の「内股」から「小内刈」への変化に完璧に合わせた「谷落」が見事に決まり、グリーン選手の体は宙に浮き後方に倒れた。一本かと思われたが、主審のコールは技ありとなる。命拾いをしたグリーン選手であったが、まるで蟻地獄に引き込むかのように自身の攻撃を吸収し、反撃してくる原沢選手に対し、挽回のチャンスを見出すことはできなかった。原沢選手は、2 分 30 秒に再び「谷落」で有効を奪い、3 分過ぎには、グリーン選手が焦って仕掛けた「引込返」に合わせ、「横四方固」に抑え込み合せ技による一本勝、決勝戦に勝ち上がった。
決勝戦は、アブダビ世界選手権団体戦代表の中野選手と国際舞台からは遠ざかっているものの、平成 25 年の準優勝以来ずっと、全日本選手権を支えてきたと言っても過言ではないレジェンド原沢選手の戦いとなった。今回の決勝戦は、8 分間の長丁場。すべてをぶつけ合った決勝戦は、互いに一歩も譲らない展開となった。中野選手が「支釣込腰」「内股」「体落」、原沢選手が、「大内刈」「内股」としかけるものの互いに効果的な技とはならず、残り時間 2 分余りで、やや疲れの見えた原沢選手にのみ二つ目の指導が与えられた。しかし、原沢選手もここで挫けることはなかった。気を取り直して、積極的に後襟を取りに行き、中野選手の頭を下げて体を曲げ、嫌がるところに「大内刈」を狙う。さすがに疲れの見えた中野選手であったが、腰を曲げ、頭を下げられる苦しい姿勢からも「体落」「背負投」と技を打ち返す。意地と意地のぶつかり合いは、全日本選手権の決勝戦にふさわしい戦いであった。8 分間の激闘は、もっともっと見ていたい内容のある決勝戦であったが、無情にもタイムアップ、判定にもつれ込んだ。主審の「それまで」のコールの後、両者ともにしばらく動けないほど、力を出し切った試合であった。ゆっくりと開始線に戻り、服装を整え、判定の瞬間を待つ両者ともに疲れは見えるもののすがすがしい表情をしていた。その表情が、「自分の力は出し尽くした」という充足感に満ち溢れていたように感じたのは、私だけであろうか。3 人の審判が旗を上げた瞬間、それぞれの目に見えていたのは赤・白一本ずつ、振り返って自身後方の副審が上げた旗の色を確認した中野選手は、ゆっくりと天を仰いだ。苦しかった決勝戦までの道のりが、走馬灯のように廻っていたことだろう。
優勝した中野選手の戦いは、本当に苦しいものであった。国際大会の連戦から帰国したばかりの近畿予選は 5 位、全日本選手権出場者決定戦で判定勝したギリギリの選出、4 月初旬に行われた全日本選抜体重別大会では、1 回戦で一本負を喫した。本大会も決勝戦までの 5試合中、3 試合が判定、うち 2 試合は 2-1 の僅差と苦しんだ。「大会前、追い込んだ稽古ができたことで、1 日集中力を切らさず我慢することができた」と自らが語っていたように最善を尽くし、結果を出した中野選手の姿は、神々しいほど輝いていた。
今年は、5 月 19 日からアブダビ世界選手権が開催される。優勝した中野選手は、団体戦代表に選ばれており、息つく間もなく次への強化がスタートする。今回の全日本選手権大会は、世界選手権とオリンピック代表に選ばれた選手が、出場を見送る事態となった。
全日本選手権大会の開催期日・ルール、大会の在り方等について検討は進めているがなかなか難しい問題である。それでも、全日本選手権大会は、私たち柔道家にとってかけがえのない大事な大会である。様々な制限を排して、すべての選手たちが挑戦し、本来の柔道を体現して最高峰の戦いをすることができる場所として、これからも守り続けていかなければならない。
(M.M)
令和6年全日本柔道選手権大会観戦記








