今月のことば 2024年6月

「自他共栄」に生きる

上月良祐

 誰しも人生の原体験となるようなかけがえのない場所や時間があると思います。私にとってそれは神戸市にある母校・灘校の柔道場です。灘中・高の6年間、私は柔道部に在籍し、高校では主将を務め、県総合体育大会では1年から3年まで先鋒として出場しました。

 嘉納治五郎師範が灘校の創設に深く関わられたことをよく知らぬまま受験しましたが、入学後、熱烈なプロレスファンでもあったので、格闘技で身体を鍛えたい一心で柔道部の門を叩きました。

 自分自身の限界まで追い込まれた夏合宿、寒さに震えた寒稽古。勝って喜んだ試合もあれば負けて涙した試合もあります。一緒に練習した仲間はもちろん、母校の柔道部の先輩、後輩とは、同じ釜の飯を食べた仲間というのでしょうか、得がたい絆で結ばれています。顧問の長谷川勉先生は温かく、何より痛快な方でした。私の選挙時にはわざわざ茨城の水戸まで激励に来てくださり、豪放磊落でありながら思い遣りがありました。早世されたことが残念でなりません。

 灘校の柔道場と講堂には嘉納師範が揮毫された「精力善用」「自他共栄」の額が掲げられています。中高の校歌も「精力善用自他共栄の 校是に心の鏡を磨き」とこの2つの言葉から始まります。

 6年間、毎日のように目にし、口ずさんでいるうちに、すっかり頭にも心にも定着し、いつの間にか自分の、そして同級生たちの行動がそうなっていることにふと気づいて、嬉しいというか、なるほどというか、何とも不思議な感じがしました。私にとって人生を歩んでいく上での精神的な背骨は、多感な思春期に日々この額を見ながら打ち込んだ柔道に他なりません。

 東京大学卒業前にヨーロッパで3週間、気ままに様々な街を旅しました。途中、夜行列車で若者と拙い英語で話をしたとき、柔道をしていたと伝えると「柔道や日本の武道は精神面を大切にするところが特別だ」と褒められ、柔道だけでなく日本の国のあり方を認められたように感じられ、少し誇らしい気持ちになったことも懐かしい思い出です。

 母校の柔道場は約10年前に立派に建て替えられましたが、33回生として「上月良祐」の木札は今も掛かっています。私は母校が大好きで感謝もしていますので、他界した後も、たまにこの木札のところに来ては後輩たちの練習を見守り、試合があれば応援したいと思っています。後輩たちには迷惑かもしれませんが…。

 柔道で培った粘り腰、すなわち、本当に苦しい時に何とか乗り越えていく精神力は、その後の人生でも重要な支えになってくれました。大学卒業後、自治省(現総務省)に入省し、本省や地方勤務を経て、茨城県庁に赴任しました。副知事も経験し、平成25年に茨城選挙区から参議院議員に初当選いたしました。

 茨城では県柔道連盟の多くの方々に加え、NHK大河ドラマ「いだてん」のスポーツ史考証をされていた筑波大学の真田久教授の知己を得ました。筑波大学の前身・東京高等師範学校の校長を務められた嘉納師範についても様々な故事来歴を教えていただきました。柔道を巡る不思議なご縁や、人との出会いは本当に偶然のものなのかと感じています。

 昨年(令和5年)末、経済産業副大臣を拝命いたしました。産業、貿易、エネルギー、イノベーション、中小企業など所掌も広く、経済の舵取り役の重要な職責です。1月はウズベキスタンとカザフスタンに出張しました。両国は極めて親日的な上、資源が豊富で若年層も多く、東西をつなぐ地理的要衝にある中央アジア諸国との連携は我が国にとってとても重要です。ビジネス交流などをさらに深めるミッションでしたが、両国でも柔道は人気で初対面の関係者の中には経験者もいて話題にもなり、柔道の経験が思わぬところで役に立ちました。2月にはUAE(アラブ首長国連邦)でのWTO閣僚会議に出席しました。大臣が衆議院での予算審議のため副大臣の私が国を代表して厳しい交渉に臨む形です。各国の国益が鋭く対立し、複雑に交錯するなか、ルールに基づく持続可能な世界貿易システム堅持のために厳しい議論が繰り広げられました。日本を代表して、たった1人で重要な会合に出席するため部屋の扉をくぐる際には、文字通り極限の集中状態、気持ちを入れて覚悟を決める、まさに試合で畳に上がる時と同じ気持ちです。

 公式の閣僚会議の間には、数多くの国々との2国間会談も行われます。各国とも日本の技術力への期待、信頼はとても大きなものがありました。私は、科学技術力の高さに加えて、我が国は伴走しながら共に発展してゆくwin-winの関係づくりを大切にしていること、そしてその姿勢こそが日本らしさの特徴であることを強くお伝えしました。まさしく「自他共栄」の精神ですので、嘉納師範の揮毫のことを引きつつお話しいたしました。

 「武道ツーリズム」のような、いわゆるクールジャパン戦略で稽古体験などを通して日本の深い価値に触れてもらうことは、インバウンドや地域活性化の枠を超えて我が国の国際的認知の向上に繋がります。武道を次世代に繋ぐためにも、こうした取り組みも大切であると考えています。

 令和6(2024)年の今夏にはパリオリンピックが開催されます。

 嘉納師範はクーベルタン国際オリンピック委員会(IOC)会長に推薦されて明治42年にアジア初のIOC委員に就任しました。富国強兵の時代背景のなかで師範は我が国にオリンピック思想を広めるにあたり、「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」と訴えました。令和の今、読み直してみても、汲み尽くせないほどの滋養があると思います。

 パリ大会では、エッフェル塔のふもとに建設された期間限定建築「シャン・ド・マルス・アリーナ」が柔道とレスリングの試合会場となり熱い闘いが繰り広げられます。今やフランスの柔道人口は日本をはるかに凌駕しています。仕事柄、実際に応援に行くのは難しいと思いますが、柔道の母国として、我が国選手団の健闘とメダルラッシュを祈念いたしております。

(参議院議員)

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