嘉納師範の「原理」と科学
志々田 文明
理想に邁進する原動力―精力善用
戦後4年を経た『柔道』誌(1949年5月号)に、嘉納治五郎師範の女婿、鷹崎正見の「思ひ出」が掲載されている。鷹崎は師範に我孫子の別荘に呼ばれた。鷹崎には1932(昭和7)年に師範が南カリフォルニア大学で行った講演の英文タイプが事前に渡されたらしく、鷹崎は次のように質問した。
「日米もし戦ったならば第二世はいかに身を処したらば宜しいのでしょうか」。
「先生はその時静かに箸を運ばれながら次のように語られた。『それは加州において数ヵ所で第二世の柔道修行者の会や或いは学校において講演したのであるが、君らは柔道の原理である、心身の力を最善に活用して学校においては優秀なる学生となり、又やがて社会に出てはアメリカの繁栄の為に尽くす市民として他の市民に劣らざる人間とならなければならぬ。もちろん戦とならばアメリカの市民として銃を持つのが当然である』」。
鷹崎はこの一言を聞いて唖然としたという。「君らは日米開戦とならば急いで日本へ帰り祖国のために戦うのが二世の責務である」と、師範が言うのを確信していたからだ。
アメリカでは1924(大正13)年に日本からの移民が全面的に禁止されており、日本ではアメリカの日本人排斥に対する反米感情が渦巻いていた。鷹崎はしばらく失望していたが、やがて師範の遠大な理想を理解する。師範と会った際に当時の思いを伝えると、師範は笑いながら次のように述べた。
「日本人の能力とヨーロッパ人(英仏米独と特に言われた)の能力とを比較して見るに、まず同等、劣っても極めてわずかなものであると信ずる」。それぞれに長短があるからそう断定する。「このままで行けば五十年か百年の後には第二世のアメリカ大統領が必ず出てくることと信じる。かくなれば戦うどころでない。母国日本に対していかに共栄の実をあげるか想像できるではないか」。
当時は自らの犠牲をいとわず国のために尽くすことが求められた時代であり、敵性国家との「共栄」を語る雰囲気ではない。その中で師範は、時代の空気に迎合せず、彼我の能力を比較して分析し、二世の米国大統領の出現を予測し、「自他共栄」という理想への展望を示した。師範は苦しい状況でも悲観しないことを信条としていたからだ。師範によれば、「煩悶、悲観は精力の不善用だからである」(池岡直孝「嘉納先生の人生原則」『柔道』1948年6月号)。
師範の困難を突破する原動力は「精力善用」と命名された「原理(原則)」であった。師範が落ち込むことなく行動したのはこの原理の理論を持していたからだ。その理論はJ.S.ミルの強靱な理論(功利主義)の学習に影響されたからであろう。ヒントは『柔道』1952年2月号の倫理学者・馬場文翁の文章「嘉納先生の柔道原理」にある。師範は学識のある馬場に対し、「究極目的」と「最近目的」を引用して説明している。武術としての柔道修行を通じて立派な精神力と徳を獲得することが「最近目的」、人格の完成が「究極目的」という議論だが、これはまさに『論理学大系』でミルが用いた概念であった。
異次元の理論と科学
嘉納師範は広く武道界に向けて次のように書いている。
「柔術を武術として見れば、攻撃防禦を目的として心身の力を最も有効に使用する術である、という定義が下し得られることになる。この定義に依れば、剣を用いようと、槍を用いようと、無手でしようと、それはその時々の便宜の問題で、攻撃防御を目的として心身の力を最も有効に使用するという理屈の応用さるるものは、ことごとく武術としての柔術であるといわねばならぬ。この理屈を推して論究して見れば、剣術は剣を以て修行する柔術となり、槍術は槍を以て修行する柔術となる」(「柔道の本義と修行の目的」『武道宝鑑』1934)。
栗原民雄十段は同様の言葉を聞いており、「かつて五月の武徳祭大会で、剣槍の大家を前にし「剣術、槍術もまた柔道なり」と御持論を堂々と講演せられた」とし、「師範の篤き御信念とその議論の強さを物語るもの」と敬服している(『柔道』1948年5月号)。
議論は強くとも、自身の武道も柔道に包摂されるかのように映る師範の理論は、他武道の世界に生きる人には心地よいはずがなく、時に誤解を招いたといわれる。師範の構想にはおそらく、柔道=原理によって他武道やレスリングやボクシングまでをも、その短を捨てて長を採って改善する広がりがあったのであろう。その場合の柔道とは、武道の一つとしての柔道ではなく、「原理」としての柔道、すなわち科学としての柔道である。師範は次のように記している。
「嘉納治五郎の教えた技でもその原理に合わなかったならばそれは本当の嘉納治五郎の教えでなく、嘉納治五郎が応用を過ったのである、後世どうすればよいかということが分らなくなったら、その原理をたどって求むれば、自然本当のことが分って来るのである」(前出「柔道の本義と修行の目的」)。
今日でも宗教や政治の世界などにおいて、互いの価値観をめぐって起こる紛争の現実を考えるとき、原理の思想によって真理を求める科学的態度は人類の最強の武器ともいえ、意義深い。柔道には「流派というものはない」(同上)という師範の言葉も、師範が科学を重視したことの帰結といえる。
師範は、武術・柔術・柔道そして人間と社会の理想を語る哲学者である半面、現実を鋭い目で把握し、自身の理論をも含むあらゆる事象に根本的批判を求めた。これは科学的態度である。だからこそ他武道などを貶める考えなどは微塵もないのであるが、一般には理解が難しいところであろう。師範の柔道は「己の完成」を目指す人間の生き方、あるいは「人生の哲学」と理解されるからである。
附記 1977年の大学院入学に当たって相談に伺った恩師から、「嘉納先生を研究しなさい」と命じられて以来、約半世紀がたちました。本稿では初心に返って史・資料を読む中、あまり触れられてこなかった点を再考しました。執筆の機会をいただいたことに深謝致します。なお本文中では嘉納師範以外は敬称を略し、文中の引用文の一部は読みやすさを考慮して改めました。
(早稲田大学名誉教授・比較武道論)








