講道館長 上村春樹
令和7年を迎え、謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。
東京大会から3年で開催されたパリでのオリンピック・パラリンピックを終え、ふとこれまでの歩みに思いをはせた時、講道館と並び嘉納治五郎師範が青少年教育の場として設けられていた嘉納塾に掲げられていた「勤是楽(つとむる・これ・たのし)」の書を目にしました。
嘉納師範は、1912(明治45)年の「嘉納塾同窓会雑誌」の中で、この言葉を次のように解説しています。「遊ぶことは概して身心の休養にはならないものである。真に修業の出来た人は、別に何等の遊びをせずとも、自分の仕事をすること、それ自身を楽しみとすることが出来るから、別に遊ばずとも時に必要なる休養をさえすれば、終日綿密なる仕事に従事しても、よくこれに堪えることが出来る。これがすなわち、先ごろ塾の額として書いた“勤是楽”の趣旨である」
私たちに与えられた時間には限りがあります。365日を有意義に使いつつ、次世代に正しく柔道を伝える責務を共有できる仲間を世界中に増やしながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。そんな気持ちを新たにする2025年の年明けとなりました。
講道館が今、為すべきこと、それは世界に向けて「柔道の理念」を解りやすく発信していくことです。本質にこだわり、変えてよいモノと、変えてはならないモノを明確に棲み分けし,言葉にして、理解しやすいように伝えて行きます。
柔道の特性は、師範の遺訓に見られるように、攻撃防御、即ち古来の武術の修行を通して身体を鍛錬、精神を修養して、人の道の神髄を体得することです。若い方々には、難しく考えるのでなく、先ずは体育としての柔道に触れて、体を動かす事から始めてもらえれば良いのです。「形」で、基本を学び、反復し、量をこなす。その後「乱取」で工夫を凝らします。その過程で出来ることと出来ないことを知って、出来るようになる努力が大切です。知識を得て、真似をして、考え、そこから創意することで「学び」が生まれます。
技は、使い方によっては危険を伴います。固技で言えば、絞技や関節技は相手の「参り」を促すもので、体を痛めることを目的にするものではありません。技をかけられた者は、それが極まった時は潔く、負けを認めて参りの合図をしなければなりません。投技も考え方は同じで、良い技を掛けられた場合はけがをしないように自ら体勢を作って受身を取ります。潔く受身をすることは、相手の技に敬意を表する、即ち礼の心にもつながっていきます。
そのような稽古を日々繰り返し行う中で、目標を持ち、それに向かって、当たり前のことを、当たり前にキチンと行う。それを継続することが大切なのです。もちろん、壁に突き当たることもあるでしょうが、創意工夫を凝らし、その壁を自らで克服しなければなりません。目標を一つ一つ達成することで自信を得て、その自信がさらなる高みを見据える礎となっていきます。そこに新たな喜びがあり、その繰り返しが人としての成長に繋がります。
競技についても思うところを少し、述べたいと思います。パリオリンピックの柔道競技では、11ヵ国が金メダル、26の国と地域がメダルを獲得しました。これは、国際柔道連盟(IJF)のリーダーシップのもとに、それぞれの加盟国と地域の努力の賜であり、成果の現れだと考えます。
防御姿勢、相手に攻撃させない組手や攻撃しているように見せかける動作などは規制されなければなりませんが、今は、「あれはだめ」「これもだめ」と、ルールで縛ることが多くなりすぎています。身長、体重といった体格だけでなく、気質や性格までも含めて、それぞれの人に最適といえる「技」があるはずです。技は最終的なきまり方は同じでも、体の使い方、重心の移動や入り方は千差万別なので、試合の中でも個人の特徴を活かして「あれもある」「これもある」という選択肢を増やせるようにしていくべきです。
そもそも、審判規定は、競技者が講道館柔道の精神に則って、正々堂々と安全に競うために皆で考えた規範です。それを私たち指導者がしっかりと理解して競技者を導いていかなければなりません。指導する側は、学ぶ者に想像力を促し、工夫することの大切さを伝える。そこからそれぞれが自分自身を高める中で生まれる独自の技こそ、柔道の素晴らしさであり、それをより多くの方に感じて欲しいと願っています。
パリの大会会場でも、「柔道を良くしたい」という気持ちがその場に溢れていること、IJFを含めて、世界中の愛好者が最善最良を考えてくれていることを感じました。様々な意見をまとめていくのは大変なことではありますが、同じ方向を向いているのは間違いありません。融和協調して、世界中の力を合わせれば、出来ることと信じます。2028年のロサンゼルスオリンピック・パラリンピックに向けて目標をしっかりと見据えながら、ルールの在り方も議論されており、競技面でも柔道のあるべき姿に近づいていくことを期待しています。
昨年も、長野県佐久市で開催された全国中学校柔道大会前日の指導者講習会や沖縄の与那国島など、出来るだけ地方の現場を訪れ、情熱ある指導者の方々と交わってきました。そこで様々なご意見を伺い、対話を通して相互理解が得られることを実感しました。ある指導者の方が、「問答とは、経験の交換だ」と話していました。お互いに足りないものを探り、補い合う。その通りだと納得し、現場でしか味わえない感覚に触れながら、学ぶことに限界はないことを肝に銘じると共に,「こういう方々に柔道は支えられている」との感謝の気持ちが改めて沸き上がってきました。
師範は、「お疲れ様でした」という挨拶に対して,「疲れるというのは精力を善用していないからだ」と返していたといいます。精力を善用している限り疲れることはない、とのお考えから出たお言葉であり、またそれを実践されていたから自信を込めて述べられたことと思われます。冒頭に述べた「勤是楽」については、このようにも残されています。「日々忙しく日を送ってはいるけれども、何れも皆、自分の主義主張が多数の同志や共鳴者の力によって、益々各地方に普及しつつある模様を視たり、又援けたりするといふ様にして居るので、所謂“勤是楽”で、自ら労することを、甚だ愉快にしている」。人生の限られた時間を大切なことに使い、それを楽しめる。私たちにとっては、それこそ柔道と関わっている時間です。
私たちは、今を生きるための知恵として、また様々な課題を解決していく道標として、師範が残された言葉や教えを学んで参りました。先達が築かれた講道館柔道の伝統を受け継ぎ、新たな歴史を積み重ねていくために、「精力善用」「自他共栄」の実践に努め、国内外に講道館柔道の精神とその本質を発信していかなければなりません。
これまでと同様に、形や基本指導、審判講習等の「講道館講習会」や、東建コーポレーション株式会社の協賛を頂き開催している「講道館青少年育成講習会」「道場訪問」を継続して、柔道の普及と地域の活性化に努めて参ります。
館員の皆様には、本年もご指導、ご支援、ご協力の程、よろしくお願い致します。今年が皆様にとって良い年になりますようお祈り申し上げます。








