柔道と私 ―柔道から学んだ教え―
鈴木賢一
栃木県柔道連盟会長を拝命して、3年目の春を迎える。私の人生は柔道と共に歩き、生かされた道であると思う。半世紀以上に亘る修行を通じ、また昨今の国際情勢を鑑み、世界平和の実現のために柔道を活かしたいとの想いが強まっている。平素はあまり後ろを振り返ることはない私だが、自らの道程を振り返り、柔道を通じて学んだこと、社会に貢献したいことについて、エピソードを交えながらご紹介したいと思う。
私は栃木県宇都宮市生まれで柔道を志して55年になる。祖父から父へと流れ、渡されたバトンは現在、私の手にあり柔道の血が受け継がれ流れていると感じている。
青年時代は自身の柔道の目標達成を目指して日々汗を流し、東海大学に進学した。日本一を目指す東海大学の稽古は凄まじく、容赦なかった。400畳の道場に100人近くの猛者が鎬を削る。流れ出る汗、1時間以上の立技、寝技が続く。稽古終了間際にレギュラー陣の投込があり、10人以上投げれば100本を越える。稽古後、整列して正座した時、額から大粒の汗が流れたことを思い出す。
そこで私は、山下泰裕氏(JOC会長・元全日本柔道連盟会長・ロスオリンピック金メダリスト)と出会った。人並外れた体格から繰り出す切れ味鋭い技、闘争心は素晴らしく、特に立技から寝技へ隙のない連絡は秀逸だった。しかし一旦畳から降りると温厚で優しく、私が落ち込んだ時いつでも相談に乗ってくれた彼は、どこをとっても非の打ちどころのない人物で、「これでも同年代か?」と驚くほどであった。彼と私は同期とあって、その仲は一層深いものになり、いつの間にか親友と呼び合う間柄になった。彼の人間性にも惹かれながら切磋琢磨するうちに、私の実力も引っ張られるようについていったと思う。
大学1年の時、東京学生柔道優勝大会で優勝し、その勢いで全日本学生での優勝を目指したが、決勝戦で逆転負けを喫した。優勝まであと一歩のところでの惜敗は、勝負の非情さ、厳しさを思い知らされた時でもあった。敗戦後、私たちは4年生から引き継いだ優勝という目標に向かって歩き出した。「今度は俺たちが達成する」と柔道部は一つとなり、一層厳しい稽古、トレーニングに励み、翌年に優勝を勝ち取ることができた。みんなで協力して厳しい稽古を乗り越え、目標を達成した経験は、私が教師となって栃木県内の高等学校に赴任した後も大いに役立った。柔道部員だけでなく出会えた生徒たちは、今でも宝であり財産である。教師冥利に尽きるありがたい経験もさせてもらった。私が大学時代に味わった、本気で物事に打ち込むからこそ得られる自信や仲間との絆を生徒たちにも与えたいと心から思い、家庭も顧みず柔道部の指導に明け暮れた。そんな私のことを理解し、影となって支えてくれていたのは、亡き妻と子どもたちである。この場を借りて心から「ありがとう」と言いたい。
話は変わるが、山下氏と一緒に出場できた全日本柔道選手権大会も思い出深いものとなった。私は試合を終えたが、前年のロサンゼルスオリンピックで負った怪我から復帰した山下氏は順当に決勝まで勝ち進んだ。決勝の相手は、斉藤仁氏。決勝戦が始まる前、山下氏から私と、同期の田中氏が呼ばれた。全日本9連覇、203連勝目前の選手控室で彼は、私たちに「この試合が俺の最後の試合、これで引退する。そばについてほしい」と耳打ちした。驚きと衝撃が走ったが、二人とも無言で目頭が熱くなった。彼は私たちに最後となる試合をしっかり見届けてほしいと言ったのだ。試合が始まった。まさしくお互いの力とプライドがぶつかり合う死闘であった。勝負の行方は判定に委ねられ、どちらが勝つのかまったく分からない状況だったが、山下氏が僅差で勝利した。日本武道館は、静寂から一瞬でどよめきに変わり、勝利の宣告を受け駆け寄ってくる彼と抱き合った時、思わず涙が溢れたことを鮮明に覚えている。その後、「強い山下氏でも自分の試合をよき理解者に見て欲しいと思うならば、成長段階の生徒たちならばなおさら指導者に見て欲しいだろう」ということに気づき、前にもまして生徒たちへ目配り、気配りをすることを心掛けた。私は選手として全日本選手権に出場したのだが、この頃から精神面では「柔道で学んだことを、生徒たちにどう還元するか」という指導者の気持ちに変わっていたかもしれない。
最後の話は、東海大学創立者松前重義博士についてである。松前先生は、私たち学生が柔道で頑張る姿を喜び、柔道部をこよなく愛してくれた。今でも忘れない言葉に「柔道 友情 平和」がある。弱小柔道部だった東海大学。いつかきっと世界中の柔道家が集まる道場にしようと力を注いだ。誰もが遠い夢のようなことだと思っていたが、今や現実となり強豪大学へ成長を遂げることになる。柔道という種を植え、育ててくれたのが松前先生である。
今日、地球上では多くの争いが起きている。無駄で悲惨な争いと感じる。柔道は一人ではできない。相手がいてこそできる柔道。私は、世界平和の一端を柔道によって担わなくてはならないと感じている。世界中の柔道を志す者が手を取り合えば、争いは無くなると信じたい。私が世界平和に柔道が貢献するのではないかと考えたのは、松前先生から「第二次世界大戦の戦火、ドイツ空爆にアメリカ軍の爆撃機が向かったが、その中の一機だけ爆弾を投下しなかった。爆撃を命令されたアメリカ兵は、ドイツ・フンボルト大学に戦前留学していたそうで、『第二の故郷に爆撃はできない』と言った」というお話を聞いたからである。この一例だけで言い切ることが難しいことは十分承知しているが、兵士が命令に背いてまで武力行使をしなかったことは、柔道が「争いを止める心」を育むことに貢献できる例とも言えるのではないだろうか。私は柔道を志す全ての若者たちに、感謝の心を持ち続けてほしいと強く思っている。そして、柔道によって心技体を養い、自分を律することに努めてほしい。楽な道、険しい道の選択は自由だが、厳しい経験や辛い経験を経てこそ、隣人を労り、労苦を厭わず他者に尽くす力が生まれてくると思う。何回投げられたとしても、それは自身が挑戦し、立ち上がった回数であるから、無駄ではない。「失敗してもすぐに立ち上がる」という生きる力になる。
柔道から教えられたことのほんの少しであるが、挫折しながらも、そこで諦めず耐えることを学んだ。柔道の教えの答えを見つけるまで歩み続けていくことが修行である。
私は、人生は出会いと別れであると言われたことを今、痛感している。柔道によって、多くの人とのご縁を得ることができた。そして、今日を迎えられたと思う。今日まで、柔道と共に目標を掲げて歩んできたが、まだまだ前を見て歩んでいけたら素晴らしいことだと思う。
結びに、私は「柔道究極の目的は、人間性の醸成を図るにあり」を心に掲げ、これからの人生を歩みたいと思う。
(栃木県柔道連盟会長)








