師に導かれた柔道人生
御嶽知昭
私が柔道をやり始めたのは、1972(昭和47)年、中学1年生のときです。テレビで「柔道一直線」が放映されていた頃で、黒帯を取った時は天にも昇る思いだったことを昨日のことのように思い出します。
その頃は、柔道をして、苦しいこと、きついことを敢えてしている自分が、なぜかかっこよく思えました。
柔道の凄さを知る
高校入学前、東海大学の道場で猪熊功先生に稽古を付けていただいた時、いきなり20本ほど投げられて「ハイ、おしまい」と言われ唖然としました。町の小さな道場で、お山の大将だった私は、「柔道が強い」と勘違いをしていました。この時初めて本物の柔道を知った気がします。
講道館で全日本の強化選手が投込をしていて、遠藤純男先生に当たって行った時には「高校生では俺の投込は受けられない」と言われました。あの背負投で投げられていたら、高校生の私の未熟な受身では確かに怪我をしていたかもしれません。この歳になったからこそ「柔道って凄いな。畳の上とは言え、あんなに投げられても怪我しないのだから」と改めて思います。
現役時代は、「柔道が強くなりたい」「試合に勝ちたい」という思いで一杯でした。しかし、いつの頃からか「柔道は勝ち負けだけではない。強いだけではいけない」と感じる様になりました。
小谷澄之先生
神奈川県内の大会を小谷澄之先生が講道館から視察に来られて、大会終了後に「今日の大会参加者は稽古不足である。試合に出るならもっとしっかり稽古しなさい」と言われた時、試合を見ただけで足りない部分を一瞬にして指摘できる「眼力」に驚きました。また「柔道には年齢に応じた段の取り方がある。若いうちは実力で取りなさい」とも仰っていました。
大学時代に小谷先生の授業を4年間受ける機会がありました。小谷先生は、嘉納師範の指導に同行した時の話もいろいろしてくださいました。その中でも小谷先生が「2時間位稽古を付けていると手が張る感じがしてくる。それからまた稽古を付ける」と話された時は、何時間続けて稽古するのだろうと、その強靱な肉体に驚きました。
また小谷先生が海外指導で、ある外国人から「小谷先生は、たくさん技を教えてくださいますが、一つだけ教えていただいていない技があります。先生と稽古すると船の上に乗っているような感じがして体が揺れているようです。何故、その技を教えてくださらないのですか」と質問された時のお話が印象に残っています。質問を受けた先生は、彼に何を教えていないのか、質問の意味が分からなかったそうです。その後、先生が戦争から復員して、講道館で何年かぶりに稽古をすると、体力が戻っておらずフラフラしたそうです。その時、あの外国人からされた質問の意味が分ったそうです。「崩しと、体捌きか」と。これを聞いた時、小谷先生の凄さを改めて感じ、柔道の奥深さを知った気がしました。
私が小谷先生からいただいた色紙には「無心無為の体捌き」と書かれていますが、当時の私にはその意味が十分理解できませんでした。しかし、柔道の修行を続け、勉強を重ねるうちに、色紙の言葉は、嘉納師範の形をご覧になった勝海舟翁が「無心にして自然の妙に入り、無為にして変化の神を窮む」と感銘を受けて残された揮毫から、柔道に対する小谷先生のお考えだったのではないかと思っています。
大学を卒業後、神奈川県警察官を拝命し、柔道特別訓練員として現役を続けることができました。社会人になっても選手として、勝負の世界に身を置くことができるのは幸せでした。中学・高校・大学・社会人と、生活の中心が柔道であり、試合に勝つことを目的として取り組むことが出来たのは恵まれていたと思います。
県警時代
私が全日本選手権に初めて出場した時、恩師の佐藤宣践先生から「全日本選手権に出られるということは勲章である。その年は胸を張って良い」と言われ、とても嬉しかったことを覚えていますが、そこが選手としての私の限界でした。
選手を終え、県警の柔道特別訓練の監督を3年務めました。その時、県警の訓練だけではいつも同じ稽古相手でしたので、出稽古の回数を出来る限り増やしました。勤務が休みの土曜日にも、自主的に出稽古に参加させました。稽古量を増やした甲斐があってか、全国警察大会の団体戦1部で、準優勝・優勝・準優勝という成果を挙げました。連覇は出来ませんでしたが、個人戦でも何名も優勝してくれました。
佐藤宣践先生
猪熊功先生、佐藤宣践先生、山下泰裕先生をはじめとして、多くのチャンピオンたちと身近に接し、お話が聞けたことは、私にとって一生の宝になるでしょう。その中でも佐藤宣践先生との出会いは、私にとって今も生涯において最大な出来事であったと思っています。
私が大学生の頃、レギュラーになって初めて試合に出た日、日本武道館に母親が応援に来ていました。現在は子どもの試合に両親が来る姿は珍しくありませんが、その当時、私は試合があることなど母に連絡もしていませんから驚きました。後から母に理由を尋ねたところ、佐藤先生から「選手になったので応援してやって下さい」と手紙と入場券が送られてきたと話してくれました。
この歳になっても頭が上がらず、社会人になっても学生時代と同じように叱ってくれる存在がいることはとても貴重だと思います。最近、佐藤先生は、「教育」が大事であると良く言われています。「今の子どもたちは苦しいこと、きついことは望まず、楽しいことをやりたがる」とも言われていますが、考えてみれば当たり前のことのように思います。私たち時代に、今の子どもたちと同じような選択肢があれば、私も選んでいたのではないだろうかと考えるのです。しかし、柔道から苦しいことやきついことを排除するのは大変難しいですが、柔道に楽しい要素をどのように入れていけるのかという点は大いに一考の余地があり、柔道人口減少に歯止めをかけるための、大切な観点だと思います。多くの先生からの受けた様々な教訓を肝に銘じ、県柔連のトップとして、山積する課題に対して丁寧に取り組む所存です。
(神奈川柔道連盟会長)








