講道館柔道の魅力
千葉 翠(講道館柔道九段・講道館評議員)
私は岩手に生まれて85年、人生の大部分を占める柔道と関わって70年が経った。私にとって講道館柔道の魅力とは何か。この問いは、修行の折々に自らに問い続けてきたものである。その都度、私なりに答えを見出してきたからこそ、今日まで柔道を続けてくることができたのである。
しかしながら、柔道の修行は一朝一夕に成るものではない。時間をかけて心身を鍛錬することによって、はじめてその本質に触れることができる。そこにこそ柔道の魅力がある。また、稽古を通じて多くの人々と出会い、知己を得てきた。切磋琢磨しながら高め合う関係の中に身を置くことも、柔道の大きな魅力の一つである。
嘉納師範の掲げられた「精力善用」「自他共栄」の理念は、単なる標語ではなく、日々の修行の中で体得されるべきものである。己の力を最も有効に使用し、他者と共に栄えるというこの精神は、柔道の根幹をなすものであり、長年修行を重ねた今なお、その奥深さを感じてやまない。
昭和47年、私は国際交流基金からの要請で、西アフリカ・セネガルでの柔道指導を模索する一員としてセネガル共和国に赴いた。この地の柔道について事前の説明は受けていたものの、家族を帯同しての見知らぬ土地での指導であった。気候、環境、柔道衣、畳など大きな制約があり、決して容易なものではなかった。しかし、指導を重ねるうちに、このような厳しい環境の中でも懸命に生き、柔道に取り組む彼らの姿に接し、講道館柔道の精神が確かに息づいていることを実感した。嘉納師範が創始された柔道が、国や文化を越えて人々に受け入れられていることを、身をもって知ることとなったのである。後年、指導を受けた者たちがこの国の柔道の中心を担っていることを知り、私たちの蒔いた種が確かに芽吹き、実を結びつつあることを感じた。このセネガルでの経験は、私の指導者としての在り方を大きく見つめ直す契機となった。
このように、柔道が国や文化を越えて受け入れられるのは、その根底にある精神が普遍的なものであるからにほかならない。そして、その精神を体得するためには、長年にわたる地道な修行の積み重ねが不可欠である。
真の講道館柔道を学びたいとの思いから、岩手を離れ、東京の大学を選んだ。この4年間は、私にとって柔道における出発点となった。大道場において憧れの先生方のご指導を拝見する機会を得、後年には直接薫陶を受けられたことは、何よりの幸せであった。
特に醍醐敏郎十段には、大学時代をはじめ、警察での指導、さらには地方における柔道の普及・発展に際して、数多くのご助言を賜った。先生のお別れの折には、大道場において弔辞を述べさせていただいた。相次いで十段の先生方が鬼籍に入られた今、そのご面影が頻りに思い起こされてならない。先生方の柔道人生には、気品と風格が備わっていた。初心を貫き、無心に柔道を探求し、生涯現役を貫かれたその姿には、柔道家としての理想が体現されていたのである。その背中から学んだものは計り知れず、後進にとって何よりの教えであった。そのような修行の積み重ねの延長線上に、柔道家として一つの到達点ともいうべき姿がある。
平成18年1月8日、大道場での鏡開式を忘れることはできない。嘉納師範が創始されて以来120数年、最高段位である十段はわずか12名だったが、この日、新たに3名の十段が誕生した。安部一郎先生、醍醐敏郎先生、大澤慶巳先生である。その瞬間に立ち会えたことは、この上ない喜びであり、今なお身体の震える思いとともに記憶に刻まれている。先生方の姿は、まさに柔道そのものであった。長年の修行によって培われた精神性は、その言動や立ち居振る舞いのすべてに表れていた。柔道とは何かを言葉で説くのではなく、生き方そのものによって示されていたのである。
柔道は、生涯をかけてなお尽きることのない魅力を有する道である。先生方はそのことを、生き様をもって示してくださった。私自身、先生方の足元にも及ばぬ身ではあるが、果しない柔道の道を求め、精進を重ねて歩み続けたいと考えている。
柔道の道に終わりはない。常に未完成であるがゆえに、なお歩み続ける価値がある。これからも柔道を通じて自己を磨き、その魅力と意義を次代へと伝えていくことが、自らに課せられた務めであると信じている。
初出:『柔道』2026年5月号









